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mini909

「劇場版 アナウンサーたちの戦争」、アナウンサーの言葉が兵器となった

「アナウンサーは根拠のない報道をしてはならない」

私、原元美紀がが32年前に新人アナウンサーとして研修で受けた教育だ。


この言葉の基となる話、「劇場版 アナウンサーたちの戦争」を観た。



(少しネタバレ)

昨年8月のNHKテレビドラマ版はあまりのショックに何度も繰り返し見ているが、今度の劇場版はディレクターズカットを含めより衝撃波が広がる。


NHKがラジオ放送を開始したのが1925年(大正4年)、来年で100年だ。

そして終戦から80年を迎える。


あの太平洋戦争の影で、アナウンサーたちの声が「兵器」とされていた。

もしやこのまま歴史の闇に葬り去られてしまうかもしれない事実を掘り起こし映像化したのがこの「アナウンサーたちの戦争」だ。


1941年12月8日、太平洋戦争勃発。

ラジオが開戦を告げる。

日本では軍隊による戦争を支える「もう一つの戦い」が展開されていた。

ラジオ放送によるプロパガンダ放送『電波戦』だ。


この作品を見るまでの私は、『大本営発表』とは軍が主導で日本が劣勢なのをまるで勝ち進んでいるかのように報道させ戦意高揚を促した放送のことだろうくらいに思っていた。


しかし、実際の放送は違った。

日本軍は占領した中国、朝鮮、満州、台湾、南方の島々などの最前線にNHKの放送局員を派遣し放送局を作り、日本語放送による植民地の日本化だけではなく、『偽の情報』を流し、上陸地点を惑わせたり援軍が来るなどと敵国を撹乱していたというのだ。

その数100局以上。アナウンサーだけでも100名ほどになるという。

立派なアナウンサー戦士だ。


しかし、戦況は泥沼化し、アッツ島は2,600人、インパール作戦では日本兵3万人が戦死。

それでも国民は熱狂し、日本は特攻作戦、東京大空襲、広島、長崎の原爆投下という運命へ突き進む。


終戦を告げたのもラジオ放送だった。


ラジオは放送開始からわずか15、6年ほどで戦争に巻き込まれた。

国のためと信じて言葉を発し続け、戦争の中心に置かれ、人を守るはずのアナウンサーの声が「兵器」と化していった。軍と『電波戦』を繰り広げた数年間、どれほどの人命が失われたのだろうか。


32年もアナウンサーという仕事を続けてきて、放送の歩みと戦争の歴史がこれほどまで絡み合っていたのかと初めて知り、声も出ない。


この作品は、実話に基づいてドラマ化され、放送と戦争の関わり、当時のアナウンサーの葛藤と罪に向き合った作品だ。

絶対に歴史の闇に埋もれさせないという作り手の強い意志を感じる。



私はこれまで多くの戦争ものを目にしてきたつもりだが、それでも現代人の感覚で戦争を振り返る時、

「なぜ戦争反対と声を上げられなかったのだろう」

「冷静な判断ができる人がいなかったのだろうか」

「自分の家族が兵隊に取られることに本気で反対しなかったのだろうか」

と素朴な疑問が浮かぶが、

その答えはいつも『時代の空気』という言葉に集約されていた。


この作品を見て、「時代」を生み出したのは軍部かもしれないが、

「空気」を固めたのは当時のアナウンサーが大きな役割を果たしていたと思うに至る。


映画の主人公は、実在の天才アナウンサー和田信賢。

彼を軸に、「軍艦マーチ」を流しながら開戦を告げる勇ましいアナウンサーの声、国民の熱狂に「自分の声が国民の心を動かしまとめ上げている」とほくそ笑むアナウンサーたちの姿が描かれる。


戦後の放送ルールを学んだ私たちからは考えられないような「煽る描写」にも驚かされた。


「死地に赴くその人中は神そのものの如く」

「国運を賭しての戦いだ!最後まで頑張れ!」など。


「最後」って・・・?


印象的だったのは、劇中の和田信賢が、これまでニュースに使われなかった言葉の登場に困惑する場面。


それは「玉砕」だ。

美しい響きとして使われ、幼い子供達にまで浸透していく。


でもそれの意味するものは「死」ではないか!


今年放送されたNHKスペシャル“最後の1人を殺すまで”~サイパン戦 発掘・米軍録音記録~でも、米軍がサイパン島に上陸するときに、日本の民間人が投降せずに「最後まで」武器を持って抵抗したり、崖から飛び降り自決する異様な光景を見て、「日本人は一人残らず殺さなければならないと思った」と証言していた。


また、日本軍の幹部自身が、大和魂を国際社会に知らしめるため「女子供は自決して欲しい」ということを語っていたという記録もあった。


当時アナウンサーたちが声を張り上げて「最後まで!」と叫んでいたのはこういうことだ。

声を兵器にして何に加担しているのかに気づき始めた和田信賢の心はクライマックスで爆発する。


そしてラストカット。

心に刺さった言葉の矢は抜けぬことを思い知らされる。

  

和田信賢役を演じた森田剛さんの魂を込めた声を聞いて欲しい。

特に特攻隊員の遺言の朗読には身体中が痺れた。

これが声の力かと唸らせられる。




実は、今回私のアナウンススクールの教え子の学生たちと鑑賞したのだが、皆無言で映画館を出てきた。自分の目指すアナウンサーという仕事の重みを受け止める言葉を探していた。

少し紹介したい。


”言葉は、人を励ましたり喜ばせたりすることが出来る反面、戦争においては、人を戦争に、帰って来れない場所に行かせる"兵器"にもなり得るという残酷な現実を思い知りました。

ラジオやテレビでアナウンサーが発する言葉を信じ、頼りにしているからこそ、情報には信憑性、根拠が必ずなければならないなと、そしてどの立場の人が聞いても嫌な気持ちにならないような配慮が必要であると感じました。

和田アナウンサーの「虫めがねで調べて、望遠鏡で喋る」という言葉を胸に刻み、その言葉には根拠があるか、十分に調べてあるかを常に考え、それを広く多くの人に伝える責任を持って、アナウンサーを志したいと感じました。”


”本心を引き出すのもアナウンサー。学徒出陣の直前に、わざわざ学生が和田にお礼を伝えるシーンでは、自分たちの本音を声に出させてくれたことが嬉しかったんだなと感じました。

和田が彼らの本心を引き出したことで、打ち明けられなかった純粋な気持ちを彼らが吐き出すことができたシーンはとても心にくるものがありました。”



私が印象に残った言葉は、

「信用のない言葉ほど惨めなものはない」。


アナウンサーの言葉はもう二度と信用を失ってはならない、と心に刻みつけられました。

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